毎日猛暑日更新の日が続き、最後の一絞りの蝉たちの鳴き声に夏を感じる余裕もない日々ですね。
そんな中、今回は目の神様「生目神社」に参拝して参りました。
-旧県社 生目神社 –
鳥居をくぐると参道の左手にまだ日は新しそうな奉献物、夢の上に顔を乗せている万年亀がありましたので、縁起担ぎのため頭を撫でながら金運上昇をお願いしました。
– 鳥居手前 –
生目神社には古よりの逸話があり、平家の武将・藤原景清が自分の目をくり抜いて空に放り投げ、その目が落ちた場所に建ったと言い伝えられています。
– みやざきの巨樹百選 –
– 御神詠 –
永禄二年(西暦1689年)三月三日、豊後国日田の郡代池田季隆来拝し「かげ清く 照らす生目の鏡山、末の世までも曇らざりけり」と和歌を献詠された。その後御神託により「鏡山」を「水鏡」と改め、御神詠となした。
– 生目神社 拝殿 –
– 日本一社 生目神社御由緒 –
・御祭神 品陀和気命ほむだわけのみこと(応神天皇)・藤原景清公
・本神社は古来、生目八幡宮(活目とも書く)と称えていましたが、明治維新に至り、生目神社と改称せられた。旧県社
・ご霊験 昔より眼疾に霊験あらたかなりてして崇敬殊に暑く、「日向の生目八幡様」として広く知られ、九州はもとより、北は北海道、本州から直参拝される参詣者も多い。
・いくめの起源 諸説あり何れを真ともなしえないが…
一、説には景清公、日向下向に際し居を此地に撰び閉居され正を卒えられた。公の歿後、公の活けるが如き霊眼を斉き祀ったと。
一、説には当地は古より霊地として眼疾患者を活かすに不思議に著しき霊験あり古人其神徳を辱み奉り生目(活目)八幡宮と称え奉ったと。
一、説には活目入彦五十狭茅尊いくめいりひこいさちのみこと(垂仁天皇)を奉斉した社であると。蓋し、御子景行天皇熊襲征伐の途、御父君垂仁天皇の御命日に偶々之の地にて御霊祭を御営みになられたのを住民等歓迎し聖地として永く奉斉し活目八幡宮と称え奉ったと。
参考資料:生目神社社務所発行 生目神社御由緒
参照ページ:宮崎市観光協会
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